
ページを開いて、『読む深呼吸』をしませんか。
住職のまっすぐな言葉と、寺嫁のまあるいイラストで、今日が優しく調う、ほっとする時間をお届けします。
あなたのいる場所に 花が咲く
【立処皆真なり(りっしょ みな しんなり)】

足元を見つめ続けた学生時代
私は中学、高校、大学と、学生時代はずっと卓球部に所属して汗を流してきました。
いま振り返ってみても、それぞれの学生生活における「最後の試合」は、とても印象深く心に残っています。
中学の最後の試合はシングルス、高校はダブルス、そして大学の最後は団体戦でした。
私には昔から、試合に負けるとがっくりと下を向くクセがあるようです。
そのため、それぞれの学生生活の最後の瞬間に目にした景色は、今でも鮮明に覚えています。
それは、歓喜に沸く相手の姿でもなく、得点版でもなく、いつも「自分の足元」でした。
大学時代は、本当に懸命に練習に打ち込みました。
ただやみくもにラケットを振るだけでなく、足への「体重のかけ方」まで強く意識して練習を重ねました。
高校までは、ラケットのラバー(ゴムの部分)の汚れ方を見て、「ラケットのどこで球を打っているか」を確認するだけでした。
しかし大学からは、それに加えて「シューズの中敷きや裏」を見るようになりました。
自分が体重を掛けたいと思っている部分が、練習の成果として正しくすり減っているかを確認するためです。
永遠に下を向いていると思ったあの日
そして迎えた、大学最後の団体戦。
全力を尽くしましたが、結果は負けでした。
学生時代の団体戦は、4つのシングルスと1つのダブルス、合計5試合を行い、3勝した方の勝ちです。
1台の卓球台で、1番から5番までの試合を順番に行うこともありますが、進行の都合上、2台の台を使って複数の試合を同時に行うこともよくあります。
最後の試合は、3試合終わって1勝2敗。4番手と5番手の両方が勝たなければ、その試合には勝てません。
私は5番手でした。
4番手、5番手が同時に試合をしており、私は相手と一進一退の試合を繰り広げていました。
しかし、試合中に審判から突然、試合終了を告げられました。
そうです。4番手の仲間が負けたのでチームの負けが決定したのです・・・
つまり、私の試合は記録にも残らない試合になり、途中で終了となったのです。
チームが負けてしまった悔しさ、これで大好きな卓球を引退することになるというさみしさ。
2対2で自分までまわしてくれれば結果を変えることができた。
いろいろな感情が重くのしかかり、私はまた、がっくりとうなだれて下を向いてしまいました。
このまま、永遠に下を向いていられるのではないかと思うほど、心が深く沈んでいました。
そのときです。
ふと、自分の視線の先に、お世辞にもきれいとは言えない自分のシューズが入ってきました。
その汚れたシューズを見た瞬間、共に懸命に部活に打ち込んできた仲間や、不器用ながらも一生懸命に汗を流してきた自分自身の姿が思い出されました。
そして、いつも一番下で私の足元を支え続けてくれたシューズに対して、心の中でそっと「ありがとう」と声をかけました。
すると、あんなにも重かった頭が、不思議と自然にスッと顔を上げることができたのです。
負けたことは、もちろん悔しい。
引退することは、たまらなくさみしい。
それでも、自分を受け止めてくれていたシューズを心に抱きしめて歩いていると、私の心の中には、なんとも気持ちが良い、清々しい風が吹いてきたのです。
このとき初めて目の前の結果を素直に受け入れることができたと思います。
「今、自分がここに立っている」という事実
この部活での体験は、私達の人生や日常にも通じるものがあります。
私たちは大人になり社会の中で生きていくうちに、つい結果の良し悪しや周囲からの見られ方ばかりを気にするようになります。
「自分をよく見せたい」「失敗して笑われたくない」と、知らず知らずのうちに「自我」という分厚い皮をかぶってしまいます。
しかし、自我という皮を外して、先人が残してくれた良い習慣にどっぷりと浸かってみれば、人としての本来の尊さが引き出されるのです。
私にとってそれは、先輩たちが築いてきた「全力を出し切る」という部活の良い習慣でした。自我を忘れ、ただ無心でその日々にどっぷりと浸かったからこそ、目の前の結果を受け入れることができたように思います。
禅語に、
【立処皆真なり(りっしょみなしんなり)】
という言葉があります。
この言葉は、
「あらゆる時において、何ものにも自分を乱されることなく主体性のままに行動できるならば、いかなるところにいても、そこが真実そのものの場所となる。」
ということを教えてくれています。
同じ「試合の終わり」という瞬間であっても、勝った時と負けた時とでは、目に見える景色は全く違うものに変わってしまいます。
勝てば世界が輝いて見え、負ければ何もかもが暗く沈んで見えるかもしれません。
しかし、どんなに景色が変わろうとも、決して「変わらないもの」があります。
それは、「今、自分がここに立っている」という事実です。
私たちは日々、さまざまな勝ち負けや、成功と失敗の中で生きています。
しかし、その「勝った、負けた」という感覚すら忘れてしまうくらい、自分が懸命に歩んできた道や、踏みしめてきた足元を見つめ直すことが大切なのです。
外側の評価や結果に心を乱されることなく、ただひたすらに、自分の今いる場所で主体的に全力を尽くすこと。
その真っ直ぐな歩みさえあれば、たとえ敗北の涙を流す場所であっても、そこはかけがえのない「真実そのものの場所(立処皆真なり)」となります。
時にはご自身の足元を優しく見つめ直し、今日まで懸命に歩いてきた自分自身に「お疲れ様」と声をかけてみてはいかがでしょうか。
自分自身のすべてを受け入れたとき、皆様の心の中にも、きっと心地よい風が吹き抜けていくはずです。


