
ページを開いて、『読む深呼吸』をしませんか。
住職のまっすぐな言葉と、寺嫁のまあるいイラストで、今日が優しく調う、ほっとする時間をお届けします。
縁に随い、流れにまかせる
【行雲流水 (こううん りゅうすい)】

行雲流水と、心のライフジャケット
ご縁があって川下り(ラフティング:ゴムボートで川を下りながら、川の中に入ったりして楽しむ)に参加する機会がありました。
出発前、参加者全員でライフジャケットを身につけていた時のことです。
インストラクターのガイドさんが、
「もし川に落ちてしまっても、ライフジャケットを着ているから必ず浮かびます。ですから、決して慌てないでください。そして、まずは川の流れに身を任せましょう。でも、一つだけ大切なことがあります。それは『前を見る』ということです。流れに身を任せながらも、自分が流される方向をしっかりと見ていれば大丈夫ですよ!」
と説明をしてくださいました。
自然の川を下るわけですから、当然「もし落ちたらどうしよう」という怖い気持ちがありました。しかし、このガイドさんの
- 浮かぶから慌てない
- 流れに身を任せる
- でも前を見る
という明確な言葉を聞いて、不思議と心がスッと落ち着きました。
とらわれのない自由な境地【行雲流水】
この川下りでの教えは、
【行雲流水(こううん りゅうすい)】
という禅の教えに通じています。
行雲流水とは、空を行く雲が定まることなく自由に行き来し、水が地形に合わせて形を自在に変えながら流れ行くさまを表す言葉です。
転じて、一つの物事にとらわれない、自由自在の境地のことを指します。
禅の修行に励む者のことを「雲水(うんすい)」と呼びますが、これも「行雲流水」のように、一所に執着せず、ご縁に随って修行して回る姿に由来しています。
心を調えるからこそ、流れに身を任せられる
「流れに身を任せる」と聞くと、もしかすると自らの意志を持たず、ただ周囲の状況に押し流されるだけの「投げやり」な態度を想像される方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、禅の教えは決してそうではありません。
故・山田無文老師は、『臨済録』の提唱のなかで、
どこへ行っても、その場その場で主体性を失わないならば、自主性を失わないならば、その人の考えることはみな正しい。物に動かされてはいかん、物にとらわれてはいかん。
外のものに真はない。外のものを追い掛けてもだまされるだけだ。どこへ行っても自分を失ってはいかん。
と、説かれています。
ここでいう主体性とは、「自分はこうであるべきだ」と頑なに我を張ることではありません。
むしろ、自我のない透明な心境を持つことです。
そのようにして確固たる主体性を確立すれば、自分が立っているその場所が、いかなる状況であれ常に真実の世界になるのだと教えてくれています。
禅では、「心を調えているからこそ、どのようなご縁にも慌てることなく、流れに身を任せることができる」と考えます。
心が乱れ、自我に執着してしまっては、流れに逆らって慌ててしまっているか、諦めて流されるだけの「投げやり」になってしまいます。
ライフジャケットがあるから慌てずに浮かんでいられるように、私たちは日頃から心を調えているからこそ、人生の荒波が来ても、ご縁に随って流れに身を任せることができるのです。
ただ浮いているのではなく、しっかりと進む先を見据える眼を持つ。
この自我のない主体性の確立が大切だと教えてくれているのです。
私たちは人生という川の中で、時に予期せぬ困難に直面します。そんな時、思考を止めてしまうのでもなく、心を調え、前を向くことが大切なのです。
坐禅で心を空っぽにし、真の自由に出会う
では、どうすればそのような「行雲流水」のように、とらわれのない自在の境地になることができるのでしょうか。
私たちの日常には様々な良い習慣がありますが、その中の一つに「坐禅」があります。
坐禅は「心を空っぽにする修行」であると説かれています。
現代を生きる私たちは、無意識のうちに膨大な知識や情報、物を抱え込み、自らの心を窮屈に、あるいは狭くしてしまっています。
坐禅を通じて、そうした不要なものを一旦手放し、自分中心の認識や勝手な思い込みから離れてみる。この「空(くう・から)の心」を持つことによって、我を張らない、本当に自由でひろい心境が得られます。
そしてその調った心が、いかなる流れをも受け入れる器となるのです。
坐禅は、決してお寺という特別な場所に行かなければできないものではありません。ご自宅でも、職場でも、通勤・通学中でも実践することができます。
近年では、インターネットを通じてどこからでも参加できる「オンライン坐禅会」も開催されるようになりました。
ぜひ一度、お手元のパソコンやスマートフォンで「オンライン坐禅会」と調べてみてください。
そして、一緒に身体と呼吸と心を調えて、自分中心の認識や勝手な思い込みから離れて、本当に自由でひろい心に出会いましょう。



