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尽きない煩悩だからこそ、目の前の一つをまずは断ち切る
【煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)】

夏休みの最終日という名の「ラスボス」!?
「そのうちやるよ」
「まだ大丈夫」
「明日からやる」
「まとめてやる」
こんな言葉で自分を甘やかし、物事を先送りにして上手くいったためしがありません。
私は小学生のころから、学生時代は毎年のように「やってしまった・・・」と夏休みの最終日に後悔をしていました。
”最終日”という名のラスボスがいきなり目の前に現れた!!!!!
……わけではもちろんありません。
そのずっと前から、私のそばには”ちょっとした怠け心”という敵キャラがいつもついて回っていました。
でも、その時は大きなダメージを受けるわけではなかったため、あんまり気にしていなかったのです。
見て見ぬふりをして、やり過ごしていました。
そんな気にならないほどの小さな怠け心が、
どんどんどんどん大きくなって、
気がつけば最終日に絶対に倒せない強敵に成長してしまっていたのです。
思い通りにならないから、煩悩が生まれる
大人になっても、このような
「自分の思い通りにしたい」
「少しでも楽をしたい」
という心はなかなか無くなるものではありません。
臨済宗には、禅の教えを広くお伝えするための「巡教(じゅんきょう)」という制度があります。
ご縁あって私も”巡教師”として本山から命をいただき、日本各地のお寺に出向いて法話をさせていただいています。
その際、本山から次のようなテーマをいただいことがあります。
「おかげさま 迷いの中に光を見出す
~煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)~」
巡教の際、私は自作の原稿とともに、管長猊下(かんちょうげいか)の「ご挨拶」をお預かりし、法話の前に代読いたします。
このご挨拶の内容が毎回あまりにも見事であるため、代読するたびに
「本当に私の法話が必要なのだろうか。このご挨拶を何度も読み上げた方が良いのではないか」
と緊張してしまうほどです。
その見事なご挨拶の中に、このようなお言葉がありました。
思い通りにならないことを思い通りにしようというところに煩悩が生じます。
思い通りにならないから、迷いの暗闇へと落ち込むのです。
『四弘誓願文』(しぐせいがんもん)の第二句にあるのが「煩悩無尽誓願断」であります。
これは、尽きることのない煩悩を断ち切り、迷いの中に光を見出そう、という誓願です。
人間である限り、煩悩を無くすことはできません。
断ち切っても尽きることなく湧いてくるのが煩悩であります。しかしご安心ください。
私たちには、生まれながらにして仏心という光が具わっています。
この光を頼りに人生を歩めば、煩悩はあっても暗闇に迷うことはありません。
私たちに備わっている「断ち切る力」
【煩悩無尽誓願断】とは、
仏教を信仰する者が誓う四つの誓い「四弘誓願文(しぐせいがんもん)」の一つで、
「煩悩は尽きないけれども、誓って断ち切ります」という意味です。
管長猊下が仰る通り、人間である限り、煩悩が完全に尽きるわけがありません。
次から次へととめどなく湧いてくるものです。
しかし、仏教や禅では、仏様はどこか遠くにいるのではなく、「自分自身が仏である」と説きます。
尽きることがない煩悩を断ち切る力を持つ仏とは、他でもない自分自身なのです。
私達には生まれながらにして、その光り輝く仏心が具(そな)わっています。
その尊い力を持っていることに気がつかないからこそ、私達は迷い、悩み苦しんでしまうのです。
夏休みの最終日に現れた巨大な敵を相手にする前に、私にはできることがありました。
それは、目の前にある”ちょっとした怠け心”を断ち切ることです。
- まずは夏休みの問題集を開いてみる。
- たった1問だけと思ってやってみる。
煩悩が完全に尽きることはありません。
でも、尽きない煩悩だからこそ、迷いの暗闇に落ち込む前に、自分自身の内なる仏心を頼りにして目の前の一つの執着や怠け心を断ち切っていく必要があります。
私達にはその力がしっかりと備わっているのです。
思い通りにならない出来事さえも「おかげさま」と受けとめられる心を大切に、今日という日を歩んでいきたいと思います。
【四弘誓願文 第1句のお話と絵はがきはこちら】
「誰が私を救うのか?」という問いへの答え【今日を調えるやさしい仏教~絵はがき法話~】#11
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