僧侶とAIの共同作業が、お経を物語に変える夏

 

この物語は臨済宗でお唱えする「白隠禅師坐禅和讃」の一節から東光寺(静岡市清水区横砂)の僧侶とAIが会話をしながらつむぎだした物語です。

 

 

サルの村と一つの種

 

 

森の奥深くに、たくさんのサルたちが暮らす穏やかな村がありました。

サルたちはお互いに助け合い、豊かな森の恵みを分かち合って平和に暮らしていました。

 

しかし、ある年の夏、そんな穏やかな日々に影が差します。一滴も雨が降らない日が何十日も続いたのです。森の木々は枯れ、木の実や果物は採れなくなり、飲み水さえも少なくなっていきました。

お腹をすかせたサルたちの心は、乾いた大地と同じように、少しずつギスギスし始めました。今まで当たり前だった「分かち合い」の心は消え、わずかに残った食べ物をめぐって、奪い合いや隠し合いが始まったのです。

 

あれほど仲の良かった村は、今や争いと疑いの絶えない、辛い場所になってしまいました。

 

村が絶望に包まれかけた時、一人の旅の僧が静かに村を訪れました。

そして、痩せ細ったサルたちを前に、手のひらから一つのカボチャの種を差し出しました。

 

「この種は、『分け合う喜び』を知る者の手によってのみ、無限の実りをもたらすでしょう」

 

ほとんどのサルたちは、その言葉に耳を貸しませんでした。

 

「今欲しいのは食べ物だ!たった一粒の種で、この飢えがしのげるものか!」

 

と、そっぽを向いてしまいます。

しかし、村のはずれに住む、一匹の若いサルだけは違いました。彼は、かつての穏やかだった村の暮らしを誰よりも恋しく思っていました。彼は、旅の僧の前に進み出ると、深々と頭を下げ、その種をありがたく受け取りました。

 

「私に、その種を育てさせてください」

 

若いサルは、まだ少しだけ湿り気の残っていた自分の畑に、その種を植えました。そして、自分が飲むための貴重な水を、毎日少しずつ、その種に分け与えたのです。彼は、自分のためではなく、「どうか、またみんなで笑い合える日が来ますように」と、村全体の幸せを心から願って世話を続けました。

 

他のサルたちは、その様子を遠くから見て、

 

「馬鹿なやつだ。自分の水を無駄にしおって」

 

とあざ笑いました。

しかし、奇跡は起こりました。若いサルの純粋な心に応えるように、種は力強く芽を出し、乾いた大地にぐんぐんツルを伸ばしていきました。そして、たった一本のツルから、信じられないほどたくさんの、大きくて立派なカボチャが実ったのです。その数は、村中のサルたちがお腹いっぱい食べても、まだ十分に余るほどでした。

若いサルは、すぐに村の仲間たちを呼びました。
 

「さあ、みんなで食べよう!これは、僕一人のものじゃない。村みんなのものだ!」

 

その言葉と、山と積まれたカボチャを前にして、自分たちの欲深さを恥じたサルたちは、涙を流して喜びました。そして、助け合いの心を思い出させてくれた若いサルと、尊い教えに、心から感謝しました。

 

その日から、村は元の穏やかさを取り戻しました。いえ、以前よりももっと、お互いを思いやる、温かい村になったのです。

たった一つの尊い教えを心から信じ、喜びをもって実践したとき、そこに無限の幸福が生まれることを、サルたちは深く、深く学んだのでした。

 

 

 

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