僧侶とAIの共同作業が、お経を物語に変える夏

 

この物語は臨済宗でお唱えする「白隠禅師坐禅和讃」の一節から東光寺(静岡市清水区横砂)の僧侶とAIが会話をしながらつむぎだした物語です。

 

 

声をなくしたウグイス

 

春の森に、一羽のウグイスがいました。

そのウグイスの歌声は、まるで朝露がきらめくように美しく、森の仲間たちはみんな、その歌声を楽しみにしていました。

ウグイス自身も、自分の歌で森のみんなを幸せにすることを、何よりの目標であり、喜びとしていました。

ところがある日、ウグイスはひどい病気にかかり、あの美しい声をすっかり失ってしまったのです。さえずろうとしても、かすれた息がもれるだけ。生きがいだった歌を奪われたウグイスは、深い悲しみに沈みました。

 

「もう、みんなを幸せにすることなんてできない…」

 

ウグイスは、誰にも会わずに森の奥深くへと姿を消しました。声を取り戻そうと、あらゆる努力をしました。喉に良いとされる木の実を探して食べ、声が戻るといわれる泉の水を飲みましたが、声は戻りません。

歌えない苦しみと、誰の役にも立てないという無力感。ウグイスの心は、出口のない暗い闇の中をさまよっているようでした。

 

そんなある日の午後、空が急に暗くなり、激しい嵐が森を襲いました。木々が大きく揺れ、激しい雨と風が吹き荒れます。ウグイスが小さな岩陰で震えていると、すぐそばの低い枝に作られた、小さな巣が目に留まりました。中には、生まれたばかりのヒナたちが、寒さと恐怖で鳴くこともできずに身を寄せ合っています。巣は今にも風で飛ばされそうでした。

ウグイスは思わず巣に駆け寄りました。歌で励ましてあげることも、助けを呼びに行くこともできません。でも、ウグイスは迷いませんでした。

 

声が出ないなら、この体で守ろう。

 

ウグイスは、巣の上に覆いかぶさるようにして、自分の羽を大きく、力いっぱい広げました。激しい風雨が、ウグイスの小さな体を打ちつけます。でも、ウグイスは歯を食いしばり、羽を広げ続けました。

どれくらい時間が経ったでしょう。荒れ狂っていた風雨が次第に弱まり、やがて嵐は静かに去っていきました。ウグイスが恐る恐る羽をゆるめると、羽の下で寄り添っていたヒナたちが、かすかに身動きするのが分かりました。

 

みんな無事だったのです。ウグイスは、心からほっとしました。

そのとき、ウグイスは不思議な気持ちになりました。自分の体は冷え切っていましたが、心の中は、じんわりと温かかったのです。そして、羽の下で安心し始めたヒナたちの小さな鼓動が、自分が歌っていたどんな美しい歌よりも、温かく、力強く、ウグ-イスの心に響きました。

ウグイスは、はっとしました。
 

「そうか…。歌だけが、みんなを幸せにする方法じゃなかったんだ」

 

自分は「歌」というものにとらわれ、それができなくなったことで、暗い闇の中をさまよっていました。でも、歌えなくても、今この瞬間に、自分にできることがある。そのことに気づいたのです。

 

やがて親鳥が飛んできて、ウグイスに何度も頭を下げました。

ウグイスは、森に戻りました。もう、声が出ないことを嘆くのはやめました。
 

朝は誰よりも早く起きて、夜露で濡れたクモの巣をそっと払ってあげます。

困っているアリがいれば、小枝の橋をかけてあげます。

泣いている子リスがいれば、そばで静かに寄り添ってあげます。

ウグイスはもう歌えません。でも、彼の周りには、いつも仲間たちの笑顔があふれていました。そして、仲間たちの笑顔を見るたびに、ウグイスの心は、歌っていた頃と同じくらい、いえ、それ以上に、温かい幸せで満たされるのでした。

 

長い暗闇のトンネルを抜けたウグイスは、声とは違う形で、自分も周りも幸せにする、新しい光を見つけたのです。

 

 

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