僧侶とAIの共同作業が、お経を物語に変える夏①

この物語は臨済宗でお唱えする「白隠禅師坐禅和讃」の一節から東光寺(静岡市清水区横砂)の僧侶とAIが会話をしながらつむぎだした物語です。
「傘が映すもの」
世界の仕組みを何でも知りたいと思っている一人の男が街の中を歩いていたとき、ぽつぽつと、雨が降ってきました。
人々は慌てて雨をよける場所を探します。
あるお店の前で、男は足を止めました。
いつもは色々な物を売っているのに、
今日はお店にビニール傘ばかりが並んでいます。
「傘、一本、千円!」
お店の人は、大きな声で叫びます。
昨日までは、もっと安かったはずなのに。
困っている人たちは、
仕方なくお金を払って、傘を買っていきます。
「なるほど、雨が降れば傘が高く売れるのか。」
男は感心して、歩き出しました。
それから何日か過ぎた、別の日のこと。再び、雨が降ってきました。
男は静かに町の様子を眺めていました。
すると、一人の女の人が困った顔で立っていました。大きな荷物を抱きしめて、雨宿りをしながら空を見ています。
するとそこに、傘をさした一人の男の子がやってきました。
男の子は、女の人に言いました。
「これ、使ってください!」
「えっ? でも、そうしたら君が濡れてしまうわ。」
女の人は、とても驚きました。
「平気だよ!」
男の子はにこっと笑うと、傘を女の人に握らせて、雨の中へ、駆け出していきました。
残された女の人は、手の中にある小さな傘を、大切そうに抱きしめていました。
その顔は、とても温かい笑みに満ちていました。
男は、その様子をじっと見ていました。
千円で売られていた傘は、問題を解決する「道具」でした。
でも、男の子が渡した青い傘は、「温かい心」も一緒に運んできたのです。
男の人は新しい仕組みを知りました。
人間という生き物には、二種類の力が内蔵されているのかもしれない。
一つは損得を計算する力。そしてもう一つは、損得では計れない力です。
そして時として、後者の力が、世界をほんの少しだけ、住みやすい場所に変えることがあるのです。
男の人は、以前聞いた言葉を思い出しました。
「衆生本来仏なり」
生きとし生けるものすべてに、仏様の心が宿っている。
あの男の子が見せた、損得を考えない温かい心。それこそが、その輝きなのかもしれません。
やがて雨は上がり、空には虹が出ました。それは、物理法則に従った、ごくありふれた光学現象です。
それでも、男の人の目には、その虹が今まで見てきたどの虹よりも、美しく、そして尊いものに映るのでした。
