僧侶とAIの共同作業が、お経を物語に変える夏

この物語は臨済宗でお唱えする「白隠禅師坐禅和讃」の一節から東光寺(静岡市清水区横砂)の僧侶とAIが会話をしながらつむぎだした物語です。

渇きを叫ぶ声

 森で一番大きな蜂蜜商の家に、一頭の若いクマがいました。

 彼の家にはいつも甘い蜂蜜が満ちあふれ、寝床はふかふか。何一つ不自由のない生活でしたが、彼の心はいつも乾いていました。
 

「本当の幸せって、どこにあるんだろう?」
 

 彼は満たされた生活の中で、いつも満たされない思いを抱えていたのです。
 

「もっと大きな商いをすれば、もっとたくさんの蜂蜜が手に入る。そうすれば、きっとこの乾きは癒えるはずだ!」
 

 そう考えた彼は、父親の元を離れ、自分だけの力で成功を掴もうと決意しました。
 彼は森の市場で様々な商売に手を出しました。貴重な木の実を遠くまで売りに行き、珍しい花から香りの良い蜜を作る。彼の商才は確かで、見る見るうちにたくさんの蜂蜜を手に入れました。
 

 しかし、彼の心の乾きは少しも癒えません。成功すればするほど、「まだ足りない」「もっと上があるはずだ」という焦りが、まるで乾いた風のように心を吹き抜け、渇きはますますひどくなるばかり。
 ついに彼は、森の掟で禁じられている、危険な崖にしか咲かない幻の花に手を出すことを決意します。
 

「この花を手に入れれば、今度こそ心は満たされるはずだ」。
 

 彼は嵐の夜に崖を登りましたが、足を滑らせ、集めた花を失いました。
 さらに、このときにケガをしてしまい、商売がどんどん上手くいかなくなり、ついに今まで築き上げた財産も、全て失ってしまったのです。
 

 

 全てを失った彼は、あてもなく森をさまよい、やがて故郷の森の近くまでたどり着きました。
 

 そこで、かつて自分の家で働いていた年老いたモグラの一家が、小さな巣穴の前で夕食を囲んでいるのを見かけました。
 

 食卓に並んでいるのは、ほんの数個の木の実と、土の香りがする根っこだけ。しかし、彼らの顔は、若いクマが今まで見たどんな裕福なクマよりも、幸せそうに輝いて見えました。互いの言葉に笑い合い、穏やかな時間が流れています。その光景に、彼は言葉を失い、立ち尽くしました。
 

 彼の存在に気づいたモグラが、にこやかに手招きします。
 

「おや、若旦那。さあ、こんなものしかありませんが、どうぞ」
 

 招かれるまま食卓につくと、モグラは一杯の湧き水と、一切れの固い木の実を差し出してくれました。何日も何も食べていなかった彼の乾いた喉を、その一杯の湧き水が、まるで命のしずくのように潤していきます。固い木の実も、どんな贅沢な蜂蜜よりも深い味がしました。
 

 そして、彼を囲むモグラ一家の温かい眼差しに触れたとき、彼は気が付きました。
 

 幸せとは、遠いどこかにある特別なものでも、手に入れるべき大きな成功でもなかったのだと。それは、家族との団らんや、笑い声、そして乾いた喉を潤してくれる、この一杯の水のような、当たり前の日常の中にこそ満ちていたのだと。
 

 彼は、昔どこかで聞いた古い言葉を思い出しました。

「譬えば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり」
「お金持ちの家に生まれたのに 「お金がない」と悩んでいるようなもの」

 まるで、俺のことじゃないか・・・

 
 自分は幸福の中にいながら、それに気づかず、「幸せが足りない」と、乾きを叫び続けていたのです。

 その夜、若いクマは自分の生まれた家へと帰りました。扉を開けると、年老いた父親が、ただ黙って彼を迎え入れてくれました。食卓に並んでいたのは、見慣れた蜂蜜と、一杯の水でした。彼はその一杯の水を、世界で一番おいしいごちそうのように、ゆっくりと味わいました。
 

 もう、彼の心が乾くことはありませんでした。

 

 

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