僧侶とAIの共同作業が、お経を物語に変える夏

 

 

この物語は臨済宗でお唱えする「白隠禅師坐禅和讃」の一節から東光寺(静岡市清水区横砂)の僧侶とAIが会話をしながらつむぎだした物語です。

 

 

嵐の中の灯台守

 

 海の見える小さな村のはずれに、古い灯台がありました。そこには、年老いた灯台守のタヌキが、たった一人で暮らしていました。

 ある日のこと、村に百年に一度と言われるほど大きな嵐が近づいている、という知らせが届きました。村の動物たちは、たちまち大騒ぎになりました。

「大変だ、家の屋根が飛ばされちまう!」
「今のうちに、木の実をたくさん蓄えておかないと!」

 村の広場は、不安そうな顔つきで行き交う動物たちでごった返し、誰もがパニックになっていました。

 何人かの動物が、心配して灯台まで駆けつけました。

「灯台守さん、のんびりしている場合じゃないですよ!早く窓に板を打ち付けたり、備えをしないと!」

 ところが、灯台守のタヌキは、いつもと変わらず静かに微笑むだけです。慌てる様子は少しもありません。忠告を無視されたと思った動物たちは、

 

「あんなに落ち着いていて、どうなっても知らないぞ!」

 

と腹を立てながら帰っていきました。

 タヌキは、その後もいつも通りでした。灯台のレンズを丁寧に磨き、機械に油を差し、ランプの芯を整える。ただ淡々と、自分の仕事をこなしていました。

 やがて、空は真っ黒な雲に覆われ、嵐がやってきました。風が唸りをあげ、巨大な波が牙をむいて岸壁に打ちつけます。村の動物たちは、それぞれの家の中で小さくなり、激しい雨音と風の音に、ただただ震えていました。

 その、最も嵐が激しくなった夜のことです。恐怖に怯える動物たちの目に、暗闇の向こうで、いつもと変わらず力強く回り続ける灯台の光が映りました。その静かで変わらない光を見つめているうちに、動物たちのパニックになった心は、不思議と少しずつ落ち着きを取り戻していきました。

 長い夜が明け、嵐は去りました。村の家は少し壊れましたが、誰一人として怪我をすることはありませんでした。村の動物たちは、まず灯台へ向かいました。昨日は腹を立てたものの、やはりあの光に勇気づけられたのです。


「灯台守さん、ありがとう!あなたの光のおげです!」

 みんながお礼を言うと、タヌキは少しだけ困ったように笑って、こう言いました。

 
「いやいや、私はただ、自分の仕事をしたまでですよ」

 

そして、動物たちは気づきました。灯台の窓には板がしっかり打ち付けられ、燃料も食料もきちんと整えられていたのです。タヌキは誰よりも早く、静かに完璧な「備え」を終えていました。

 村の動物たちは、そのとき初めて知りました。本当の強さとは、嵐の中で大騒ぎすることではない。心を落ち着け、静かに自分のやるべきことを丁寧に行うこと。その穏やかで静かな心こそが、自分自身だけでなく、周りのみんなをも支える、何よりも力強い光になるのだということを。

 

 

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