僧侶とAIの共同作業が、お経を物語に変える夏㉜

この物語は臨済宗でお唱えする「白隠禅師坐禅和讃」の一節から東光寺(静岡市清水区横砂)の僧侶とAIが会話をしながらつむぎだした物語です。
白鳥と泥の池
森のはずれに、それはそれは美しい池がありました。
底の小石まで見えるほど水は透き通り、そのほとりには、真っ白で気高い一羽の白鳥が住んでいました。
その池は、白鳥の何よりの自慢でした。白鳥は、池に泥や落ち葉が少しでも入ることを嫌い、毎日くちばしで丁寧に掃除をすることを日課にしていました。村の動物たちも、その澄み切った池の美しさを、いつも褒めたたえていました。
しかし、ある年の春のことです。長く続いた大雨で、裏山が崩れ、大量の土砂や泥が、一瞬にして白鳥の自慢の池へと流れ込んでしまいました。
次の日の朝、池があった場所には、ただ、どんよりと濁った泥の水たまりが広がっているだけでした。
白鳥は、あまりの出来事に言葉を失い、やがて深い絶望に沈みました。
「ああ、もうおしまいだ。私の、あの水晶のような美しい池は、二度と戻らない・・・」
彼は、泥を憎みました。自分の誇りも、美しさも、すべてを奪っていった醜い泥が許せませんでした。彼はもう池の掃除もせず、ただ岸辺で、元気をなくしてうずくまっているだけでした。動物たちが慰めに来ても、白鳥は首を横に振るばかり。かつて美しさをたたえられた記憶が、今の苦しみを、ますます深くするのでした。
季節は流れ、夏が来ました。白鳥の心は、晴れることなく、濁った泥の池を嘆き続ける毎日でした。
そんなある日の朝のことです。
白鳥が、いつものように絶望の中で泥の池を眺めていると、その水面の真ん中から、一本の緑の茎が、すっと静かに伸びているのに気づきました。そして、その茎の先には、ふっくらとした蕾がついています。
「泥の中から何かが出ている。なんだろ?」
白鳥は、不思議な気持ちで、その蕾を毎日見守りました。どうやら、山崩れの時の泥の中に、花の種が混じっていたようでした。
やがて、その蕾はゆっくりとほころび始め、この世のものとは思えないほど、清らかで美しい、一輪の蓮の花を咲かせたのです。濁った泥の色とは対照的に、その花びらは、朝日に透けて輝いていました。
白鳥は、その光景を、息をのんで見つめていました。
本当の美しさとは、汚れひとつない、完璧な水の中から生まれるだけではない。自分があれほど憎み、嫌っていた、このどうしようもない現実のような泥の中からも、これほどの気高い花は、力強く咲き誇るのだと。
彼は、もう泥を憎むのをやめました。この泥があったからこそ、この尊い花に、出会うことができたのですから。
「完璧な池を取り戻したい」という欲望が消え、心が静かに満たされたとき、彼は、泥の池とそこに咲く一輪の花が、最高のやすらぎを与えてくれる場所であると、心から受け入れたのでした。
