僧侶とAIの共同作業が、お経を物語に変える夏

 

 

 この物語は臨済宗でお唱えする「白隠禅師坐禅和讃」の一節から東光寺(静岡市清水区横砂)の僧侶とAIが会話をしながらつむぎだした物語です。

 

 

一番の宝もの

 

深い森に、たくさんの子供たちを持つ、賢くて大きなクマのお父さんがいました。お父さんは、年老いて、もうすぐ遠いお空へ旅立つことを悟りました。

ある日、お父さんは子供たちを全員集めて、こう言いました。
 
「わしは、この森で一番大切な宝物を、この家のどこかに隠した。三日間のうちに、それを見つけ出した者を、わしの跡継ぎとしよう。」
 
その言葉を聞いて、子供たちは色めき立ちました。
 
「一番の宝物だって!きっと、黄金色に輝く、たくさんのハチミツに違いない!」
 
「いや、冬中眠れる、ふかふかの寝床のことさ!」
 
子供たちは、家中をひっくり返すようにして、高価そうなものや、立派に見えるものを探し始めました。
その時です。宝探しに夢中になっていた兄弟の一人が、古い壺を運ぼうとして、足をもつれさせて派手に転んでしまいました。壺はガチャンと割れ、そのクマは足を擦りむいて、うずくまっています。
 
兄弟の痛そうな顔を見ると、誰からともなく、次々とその元へ集まってきました。ある者は、きれいな水を持ってきて傷を洗い、ある者は、元気が出るようにと自分の隠していた木の実を差し出し、またある者は、ただそばに寄り添い、その背中を優しく撫でました。
傷ついた一人の兄弟を、みんなが自然と、当たり前のように助け合っている。
その光景は、子供の頃、誰かが転んだり、泣いたりするたびに、お父さんが大きな体で優しく包み込んでくれた、あの温かい光景と、全く同じでした。
 
そうです。お父さんが残した一番の宝物とは、黄金のハチミツでも、ふかふかの寝床でもありませんでした。
それは、お父さんの教えを受け継ぎ、誰かを思いやり、無心で助け合うような、この美しい心そのもの。
 
そして、そんな尊い心が息づく、兄弟たちが共にいる、今この瞬間こそが、何物にも代えがたい宝の国だったのです。
 
探すべき宝物は、どこか外にあるのではありませんでした。宝物は、初めから、自分たち自身の中にあったのです。
 
三日目の夕方、子供たちは、もう宝探しをやめていました。
彼らは、お父さんの教えを思い出し、ある者は庭の小さな花の世話をし、ある者は困っている虫を助け、そしてまたある者は、お父さんがいつも座っていた椅子を、丁寧に磨いていました。
 
そんな子供たちの姿を、窓辺に座ったお父さんは、誰よりも幸せそうな顔で、静かに見守っていました。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です