僧侶とAIの共同作業が、お経を物語に変える夏

 

 

この物語は臨済宗でお唱えする「白隠禅師坐禅和讃」の一節から東光寺(静岡市清水区横砂)の僧侶とAIが会話をしながらつむぎだした物語です。

 

 

空に響きわたる歌

 

広大な高原に、歌を学ぶ一頭の若いトラがいました。彼は、歌うことが大好きでした。風の音や川のせせらぎに合わせて声を響かせると、心が踊るように楽しくなるのです。もっともっと、自分の心を歌に乗せたい。そんな純粋な気持ちから、彼は歌の修行を始めました。
 

しかし、修行を積めば積むほど、彼の歌はだんだん苦しいものになっていきました。
  

「もっと高い声を出さなければ」「もっと正確な音程で歌わなければ」

 

いつしか、最初の「歌うのが楽しい」という気持ちはどこかへ消え、彼の心は「上手く歌わなければならない」という思いで、がんじがらめになっていたのです。練習すればするほど、声は固く、歌は窮屈になっていきました。
 

そんなある日、一緒に修行をしていた仲間が、悩むトラの姿を見て言いました。
  
「君の歌は、とても窮屈そうだ。少しだけ歌うことをお休みして、ただ、この高原の音に耳を澄ませてみたらどうだろう」
 
トラは、その言葉に従い、何日も練習をやめて、ただ高原の丘の上に座り、静かに過ごしました。
 

風が草を揺らす音、遠くの川のせせらぎ、小さな虫たちの羽音…。
 

最初は、「練習をしなければ、どんどん下手になってしまう」という焦りで、何も聞こえませんでした。しかし、何日も経つうちに、次第に心が静まっていくと、バラバラだったはずの音の粒が、いつしか一つの大きな、美しい音楽となって聞こえてくるようになったのです。
トラは、自分が「上手く歌おう」としていたことを、すっかり忘れていました。
  
そんなある朝、地平線から太陽が昇り始め、世界が金色に染まっていく、そのあまりの美しさにつられるように、トラは自然と口を開き、声を放っていました。
 

それは、今まで彼が必死に練習してきた力強い声と、静かな時間の中で見つけた穏やかな心とが、見事に一つになった歌声でした。力強いのに、少しも力んでいない。ただ、この美しい高原と、今ここにいる自分とが一つになった、深く、穏やかで、温かい響きでした。
  
トラの歌は、自分という小さな体を通り抜けて、この遮るものの何もない大空に、ただ音が溶けていく。その心地よさと自由に、彼の心は満たされていました。「もっと高く」というこだわりも、「もっと正確に」という焦りも、この広い空の前では、ちっぽけなことでした。
  
その歌声を聞きつけた高原の動物たちは、トラの周りに静かに集まり、うっとりと耳を傾け、涙を流すものもいました。
自分で作り出した「上手く歌おう」というこだわりから解放されたとき、トラの心は、何ものにも縛られない、広く自由な空のような心となりました。そして、その心から生まれた歌声は、聞くものすべての心を、優しく解き放っていったのです。

 

 

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