西国(さいごく)三十三所と観音山墓地の縁

 観音山前仏 観音菩薩像

 南円堂・不空羂索観世音菩薩(ふくうけんじゃかんぜおんぼさつ)







観音山霊場を整備し墓地を増設しようと、調査・工事を進めていたある日の出来事…
 
 工事関係者が偶然、右写真の石仏を発見。

 観音山霊場は以前より頂上に観音様を安置する御堂があり、多くの方がお
参りをされていましたが、この石仏の由縁等の記録がありません。

 そこで調査開始!

 すると・・・

 この石仏は日本で最も歴史がある巡礼行の西国三十三所の6番札所南
法華寺(壺阪寺)の千手観音と判明!!!
 このことから、以前は観音山霊場には三十三所を巡礼できるよう石仏があ
り、その中の1つが偶然発見されたのでは、と考えられました。

 現在、観音山に再び西国三十三所霊場を建立しようと多くの方のご協力に
より計画が進行中です。

 観音山霊場にお越しの際はぜひお参りください。
西国三十三所巡りとは

和歌山・大阪・京都・兵庫・滋賀・岐阜に点在する三十三所の観音霊場を巡る、日本で最も歴史のある巡礼行です。

観音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳に与るために33の霊場を巡拝します。

中には、京都の清水寺といった、有名な寺院も多く含まれます。

『西国三十三所巡礼の旅』西国33所札所会 公式サイトhttp://www.saikoku33.gr.jp/about/



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 法隆寺金堂第三号壁の中の観音菩薩を東光寺観音山前仏として再現
(平成15年3月30日安坐開眼)

  法隆寺金堂とは推古十五(607)年に聖徳太子が開創したと伝えられる現存する世界最古の木造建築物の一つです。
 

  金堂壁画はインド、西域の美術を取入れた国際的な唐代絵画様式の影響を受けていると言われています。日本最古の仏画(国宝)として世界的至宝ではありますが、1949年に火災によって焼損してしまいました。焼失後、前田青邨・平山郁夫他画伯たちが、身体を三つに折る三曲法(トリバンガ)で描き、修復再現しました。

  この観音像は四号勢至菩薩を裏返しにした形で、宝冠には化仏を戴き、左手は上げて施無畏印、右手は下げて蓮華の茎をとっています。上方に火炎宝珠が雲とともに飛翔し、また蓮臺下方には宝池があります。

  故宮城嶋基司氏が愛知県岡崎市の鹿乗石材(石仏彫刻家・平川秀邦)に制作依頼したものが巡り巡って、東光寺の観音山前仏として安置されることになりました。


   修学旅行生から始まる、偶然とご縁の物語  
ある資産家の娘さん。
修学旅行で奈良へ行きました。

奈良ではもちろん、法隆寺も見学。

帰りの電車の中、何故か荷物が重くなってる!?
と思って鞄の中を見てみると…

法隆寺金堂第三号壁の中の観音菩薩さまが!!!
もちろんお土産物ですが。

この話を聞いた父である、宮城嶋基司氏。
「これは何かのご縁だ!」
と、この観音様の石仏を作成依頼することに。

しかしいろいろな事情により、観音様を手放さなくてはいけないことに…
だけど、2メートルを超える大きさ。
引き取り手がなかなか見つかりません。

巡り巡って、東光寺のところへこの話がきたのです!
はじめは「こんなに大きいものは…」とお断りしようと思っていた住職。

でも、
「これも何かのご縁ですから。」という総代さまの言葉に促され、
ちょうど観音山墓地造成時期と重なったこともあり、
東光寺の観音山前仏として安置されることになったのです。
 
偶然とご縁が重なった、観音山前仏の秘話でした!


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 不空(ふくう)とは、空しからず=失敗しない、つまり、願うこと空しからずという意味で、望みが叶うこと

 羂索(けんじゃく)とは、インドで猟や戦いに用いられる投げ縄状ののこと。つまり、衆生の悪や煩悩を縛って、観音さまの大慈悲の網で漏れなくすべての人々を救う観音様の大慈悲の網を指します

 健康長寿、現世安穏、美顔、衆人愛嬌、財福金運、罪障消滅、極楽往生の功徳があると「不空羂索陀羅尼自在王咒経」に説かれています。

 不空羂索観世音菩薩は頭髪を高く結い、宝冠に阿弥陀如来の化仏をつけ、上半身に鹿皮を斜にまとっています。8本の腕を持ち(八臂像)、八角形の荘厳な蓮華座に結跏趺座(けっかふざ)して坐られ、お顔はおだやかに微笑んでいます。

 ちなみにこの腕、第一手は胸前で合掌、第二手左手に蓮華、右手に錫杖を持ち、第三手は両手とも脇下に垂らし五指を伸ばし掌を前に向け、第四手左手に羂索、右手に払子を持っています。

 奈良興福寺にある八角円堂の南円堂は、聖徳太子発願の伝えがあり、弘仁四年(八一三)藤原冬嗣が父内麻呂追善のために建立しました。また鎮壇には弘法大師が係わったと諸書に記されているそうです。
 
 西国三十三所観音霊場のなかで、本尊が不空羂索観世音菩薩は、九番札所の興福寺南円堂だけです。

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